最後の一徹は振り下ろしちゃいけない
アメリカがシリアに軍事介入寸前と報道され、「くすぶり亦蔵」の主題をあらためて考えました。
暴力に暴力で応えても新たな暴力を生むだけ。最後の一徹を振り下ろしちゃいけない。
物語にワールドトレードセンター崩落の悲劇が登場します。
そして作中でジャック・ジャクソンのセリフ。
これを書きながら僕はニューヨークの黒人警官ジャックと一体になっていました。
「でもね、人のこころは帝国主義になんてなっていないんです。ニューヨークは変わりました。本当に人がやさしくなった。みんな、あきらめの境地から希望を引っ張り出した。その気分が街全体を覆っている。だから思うんです。報復はだめなんですよ。テロは憎い。しかし犠牲になるのはいつもふつうの人たちなんです。テロとは戦わないとならないけれど、戦争はだめだ。最後の一轍は振り下ろしちゃいけない。国家は民衆に悲劇をもたらしちゃいけない。国家を戦争へと向かわせちゃけない。でもアメリカは戦争へと突入した。国としての判断です。世論も強いアメリカを支持した。僕は下っ端だけど官僚で、戦争反対のデモに加わることはできない・・・だから、警官としてできること、一般人としてできること、アメリカ人としてできること、アメリカがしなくてならないこと・・」 ジャックは日本語に英語を半分くらい混ぜながら、息もつかせずしゃべっていたが、ふと止まった。太く黒い指は、銀色に光るスプーンをさまよっている。「しなくてはいけないことを、いつも考えている・・・」
単行本のあとがきは「寸止めの余韻」としました。
サッカーのワールドカップでジダンの頭突きを見たとき「寸止め」という、この小説の主題が自分の中であらためて浮かび上がってきました。 長い人生の中で、また、さまざまなイデオロギーが混じり合う世界との関係性の中で、個人が、あるいは国家が、最終決断を迫られる場面は幾度となくあることでしょう。そしてそれがギリギリの選択だったなら・・個人の名誉をかけたもの、国家の威信をかけたもの、命をかけたものなら答えはふたつしかない、YESかNOか、撃つか撃たないかです。 アメリカがアフガニスタンへ向かったとき、ほとんどのアメリカ国民は賞賛の声を上げました。しかしそれは正しい決断だったのか? 世界は広く、報復することも信心の一部として教えられる原理や主義もあり、行動はさまざまです。 しかし信念に基づいた決断なら必ずそれは正解なのか? 行為には代償が伴い、決断を下せば結果責任がついてきます。 書き進めながら僕は日本人のことを考えました。
亦蔵の曾祖父である樺沢直持が生きた時代の武士には精神の崇高さがあり、現代に生きるわれわれ日本人も間違いなくそのDNAを受け継いでいる。太平洋戦争を始めた愚かな決断を反省する機会も持ちました。被爆の体験もある。 日本人の持つ美意識は世界に誇れるもののはず。強烈な一撃を一寸手前で止めるような職人わざも世界に類を見ない。 われわれ日本人が世界に向かってできることはあるはず。
そういう想いを残し、筆を置いた次第です。
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