均質化世界から抜けだそう
【(C) FIFA/FIFA via Getty Image】
スポーツジャーナリストSergio Levinskyの記事を読んで、どうしたものか、と思った。
南アフリカで苦戦する強豪国
「サッカーが均一化している。いまやどの国でも、主力級の選手は欧州リーグ(イングランド、スペイン、イタリア、ドイツ、フランス)に集中している。選手たちはこれらのサークルの中で、循環しているにすぎない。志向するサッカーが似てくるのは必然」
今年の4月、たまたまミラノにいて、チャンピオンズリーグ準決勝をスポーツバーで観た。
最初からバルセロナのうまさが目立ち、バーの客もあきらめ顔で、インテルが勝つとは思っていなかったようだった。
実際インテルが最初に点を取ったとき、客は騒ぐでもなく「へ〜、取ったよ」みたない感じだった。そしてインテルが勝った。
後で記事を読んだが、
「ポゼッションによる攻撃サッカーを信条とするバルセロナと対峙(たいじ)した時、監督が選手たちに指示したのが、統率の取れた守備からのカウンターだった。この方法で、インテルはヨーロッパチャンピオンに輝いた」
そして、日本vsオランダ戦
個に差があるチームでも、戦術で接戦に持ち込める。間違わなければ大負けはしない。
これは時代だ。
店舗デザインのディレクターなる仕事をしているが、議論するのは既成の枠を出ない仮説だ。がんばってはいるが仮説に個性がなく、実現したものに既視感はぬぐえない。マーケティング指向が強く、仮説・検証・修正を回すまじめな日本スタイルは結果として個性を失わせ、自由裁量を認めない法律群が建物を街のゴミに変えている。
と、ここのところ思っていたが、
日本だけじゃない。これは世界中で起こっている。さまざまな局面で起こっている。
サッカーでも研究に研究を重ね、見つけた回答が日本の戦い方であり,インテルの戦い方だ。
「勝てないより、負けたくない」
商売も政治も行政も、同じような精神構造の上に乗っかっている。
パリにもスターバックスができ、昔ながらのカフェが減っている。レアールに人があるれる光景はロンドンのピカデリーかと思ってしまう。東京もソウルも上海も、街の景色は同じだ。
しかし、ここで問わねばならない。
「退屈なのは世界か、自分か?」
ファンタジスタのあやつるゲームは楽しい。たとえ負けても。
言うはやすし、行うは難しだが、少なくとも自分はそのつもりでいる。
脳みそを妄想で満たし実現に向けて努力しよう。
勉強しよう、肉体を鍛えよう、そして勇気を持とう。
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